2009年10月05日

心的外傷

その個体が心的に耐えられないほどの破壊や侵襲を受け、そのために生じた心的機能の破綻が、長いあいだ修復されることなく、その結果さまざまな悪影響を心身に色濃く残す場合、破壊や侵襲のもととなった出来事を個体にとっての心的外傷(トラウマ:Trauma)という。
犯罪や災害などに遭遇したときに起こる一回性外傷と、虐待的な家庭や環境(軍隊など)にずっといたことによる起こる累積性外傷とに大別される。心的外傷によって末永く個体に残る負の症状群を心的外傷後ストレス症候群(PTSD)という。
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フロイトの初期の治療活動では、心的外傷はおおいに注目されていたが、やがて『夢判断』以降には、「こんなに外傷を受けた患者が多いわけがない。これはクライエントの幻想である」といったふうに、フロイトのなかで外傷概念に対する後退が起こった。ジャネが心的外傷の研究を続けたものの、1930年代は精神医学界を含めて、総じて心的外傷というものを集団否認している時代であった。やがて、第二次世界大戦やインドシナ戦争から帰還した兵士たちが戦争後ストレス症候群(ASD)などの症状を呈するにいたり、ふたたび心的外傷の研究が行なわれるようになっていった。

病いであることから得られる利益。フロイトによれば、心的な苦痛を回避するために内的葛藤を抑圧し、その結果神経症のような症状へ逃避する第一次疾病利得と、疾病であることで周囲の者や社会から得られる同情・慰め・補償などを得る第二次疾病利得とに分けられる。

2009年09月29日

李承福

李承福(イ・スンボク、1959年12月9日 - 1968年12月9日)は、韓国江原道で北朝鮮の武装工作員に殺害された少年で、韓国においては反共主義のシンボル的存在として知られる。
イ・スンボクは、両親と祖母、兄と弟、妹の7人家族で、江原道平昌郡珍富面(現在の龍坪面)で生まれ、1967年3月から束沙(ソクサ)国民学校桂芳(ケバン)分教場(現在の初等学校。日本の小学校に相当)に通っていた。

1968年11月、北朝鮮の武装工作員部隊120名[1]は対南工作としての拠点と内通者を作るべく、江原道の東海岸の町三陟の海岸から韓国に侵入した(「蔚珍・三陟事件」)。当時の韓国はクーデターで政権を掌握した朴正煕大統領であり、圧政に疲弊した民衆は北側の宣伝に呼応するだろうとの北の目論見があった。
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12月9日(奇しくもスンボクの誕生日であった)の夜、韓国軍に追われた武装工作員達はスンボクの家に押し入った。この時、父と祖母は近所の引っ越しの手伝いで留守だった。武装工作員達は一家を監禁、北の主張と共産主義思想を強引に説いた。そして、武装工作員は一家に「北が良いか、南が良いか」と問い質した。これに対するスンボクの答えは「僕は共産党が嫌いです」だった。

これに激昂した武装工作員達は、一家の殺害を決意。一家はめった刺しにされ、あるいは石でめった打ちにされた。特にスンボクは(悪言を吐いた)その口を刃物で裂き切られた。

2009年09月21日

音楽

音楽(おんがく)とは、音のもつ様々な性質を利用して、それを時間の流れの中で組み合わせて、感情や思想を音で表現したものである。音楽は、ある音を選好し、ある音を選好しない、という人間の性質に依存する。
音楽の定義には、「音による芸術」といったものから「音による時間の表現」といったものまで、様々なものがある。
音楽の要素は、リズム、メロディー、ハーモニーの三要素からなる、と考えられている。

音楽行為に関しては、現代では一般に「作曲」「演奏」「鑑賞」の3方面が基本として考えられている。作曲とは、作曲者の心に感じた事を音によって表現することである。演奏(えんそう)とは、再現芸術ともよばれ、作曲された音楽を実際に音として表現する行為であり、原曲を変えて演奏したり(編曲)、声楽曲を器楽曲に変える等(編曲)する行為も演奏行為とされる。( #演奏 )。鑑賞とは音楽を聴いてそれを味わったり、価値を見極めたりすることである。
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音楽には様式があり、それを「ジャンル」と呼んでいる。「民族音楽」「クラシック音楽」「ジャズ」「ロック」などといった名称で呼ばれているのがそれである。
近年では人々の音楽を聴く行為を統計的に見ると、再生音楽が聴かれている割合が多くなっている。(

2009年09月03日

精神分析学

精神分析学(せいしんぶんせきがく)は、ジークムント・フロイトによって創始された人間心理の理論と治療技法の体系を指す。広義には、フロイト以後の分派を含めた理論体系全体も指す。 精神分析学が科学と言えるのかどうかについては議論が分かれている。

19世紀後半のヨーロッパでは、ヒステリーをはじめとする神経症は、精神科ではなく内科の診断領域であった。ヒステリーの研究で有名だった神経学者であるジャン=マルタン・シャルコーは、パリでヒステリー患者に催眠をかけ、ヒステリー症状が現れたり消えたりする様子を一般公開していた。

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1885年、そのシャルコーのもとへ留学してきたのが、のちに精神分析を創始することになるジークムント・フロイトであった。当時のフロイトは自然科学者・神経学者であり、主にヤツメウナギの脊髄神経細胞の研究や、脳性麻痺および失語症の臨床研究を行なっていた。

1886年、フロイトはウィーンへ帰り、シャルコーのもとで学んだ催眠を用いるヒステリーの治療法を一般開業医として実践に移した。治療経験を重ねるうちに、治療技法にさまざまな改良を加え、最終的にたどりついたのが自由連想法であった。

2009年08月20日

インディアンとカジノ

1990年代に入ると、マサチューセッツやオレゴンをはじめ各地の州議会で「賭博は教育・道徳的に許されないものである」との理由からインディアン・カジノの運営禁止決議が相次いでいる。しかし、インディアン・カジノの収入の多くは「没収された土地の買い戻し」や「道路の舗装・整備」、「部族の医療や教育、居住」などの資金など、インディアンの福利厚生に使われているものであり、州とインディアン部族のカジノを巡る係争は年次拡大している。そもそもインディアンの衣食住の権利を詐取してきた白人が「道徳」を理由にカジノを禁止するのは理不尽ではないかとの内外の批判も多く、またインディアン・カジノが自治体にもたらす税収は莫大なものであり、インディアンだけでなく、非インディアンの雇用をも生み出す一大事業ともなっていて、これら州によるカジノ禁止決定に対する抗議デモの参加者には失業した白人カジノ従業員の姿も多い。
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一方、カジノ経営をする部族の中には十分な収入が得られないものもあり、人口の集積地から近い、他のカジノとの競争が少ないなどの条件がそろわなければカジノの経営による利益は薄く、カジノの設立や運営を仲介する白人企業に支払う手数料も高額にのぼるなど、ギャンブルの経済効果を疑問視する声もある。ホピ族のようにカジノ事業を敬遠する部族もいる。

2009年08月07日

生理学

生理学(せいりがく)とは、生命現象を機能の側面から研究する生物学の一分野。

形態的側面からアプローチする解剖学や形態学と対置される。また異常な生理状態を調べる病理学と対義的に用いられることもある。

広義に解釈すると、生命現象のありのままを研究する生理学は、生物学と同義と言えよう。生物学でもっとも栄誉ある賞がノーベル生理学・医学賞であることが端的な例である。近年では生物学の各分野の融合が進み、生化学や分子生物学の各領域との境目が曖昧になりつつある。
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時の光

古くは動物生理学と植物生理学に分類されていたが、現在では動物生理学のことを生理学と呼ぶことが多い。ホルモンなどの内分泌を研究する内分泌生理学、細胞内の現象を扱う細胞生理学、神経に注目する神経生理学、また特に神経の電気応答を計測する電気生理学、大脳の機能に特化した大脳生理学、歯科・口腔領域の生理学的特徴を研究する口腔生理学などの分野がある。

2009年07月31日

カーペンター兄妹は

カーペンター兄妹は、アメリカ合衆国コネチカット州のニューヘイブンで生まれた。リチャード・リン・カーペンターは1946年10月15日、妹カレン・アン・カーペンターは1950年3月2日生まれである。リチャードは父親の膨大なコレクションのレコードを聴き、ピアノの練習に熱心だった。[6]。一方カレンは親しみやすく外向的でスポーツを好んだが、兄と一緒に音楽を聴くことも多かった[6]。
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1963年6月、両親のハロルドとアグネスは家族を連れてカリフォルニア州ロサンゼルス郊外のダウニーに移り住んだ。リチャードを音楽産業へ近づけることと、カレンと父がニュー・イングランドの厳しい冬を嫌ったための移住である[7]。しかし生まれ故郷のニューヘイブンの友人との別れはカレンにとって、辛いものとなった[7]。同年の秋からリチャードはダウニー高校へ通い、体育の代わりにバンドを選択科目として取ることができた。これは、後のカレンに選択を体育から音楽に変更する参考になった。音楽教師のブルース・ギフォードは、リチャードが「ラプソディ・イン・ブルー」を指示されて演奏するのを聞いて、リチャードのピアニストとしての才能を認めた[3]。翌年度からリチャードはカリフォルニア州立大学ロングビーチ校へ通い、将来の作曲パートナーとなるジョン・ベティスと出会った。ベティスの協力のもとに、リチャードはやがて「トップ・オブ・ザ・ワールド」 ("Top of the World") 「愛にさよならを」 ("Goodbye to Love") 「オンリー・イエスタデイ」 ("Only Yesterday") といった名曲を生み出してゆくのである。

2009年07月13日

光合成に関わる年表

18世紀
1772年 イギリスのジョセフ・プリーストリーは、ハッカとネズミの実験から「汚れた空気」は植物によって浄化されることを発見した。
1779年 オランダのヤン・インゲンホウスは水草の実験から、植物が「きれいな空気」を出すには「光」が必要であり、光がないときは逆に空気を汚染することを発見した。
19世紀
1804年 スイスのニコラス・テオドール・ド・ソシュールは、ソラマメの実験から、根から吸収されていると考えられていた二酸化炭素は葉から吸収されていたことを発見、さらに、二酸化炭素が存在しないと植物は生きられないことを発見した。
1862年 ドイツのユリウス・フォン・ザックスは、植物は日光に当たると二酸化炭素からデンプンを合成し、それで成長していることを発見した。
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1893年 アメリカのチャールズ・バーネスは光合成(Photosynthesis)という言葉を作り、論文中でその定義を発表した。
20世紀
1905年 イギリスのフレデリック・ブラックマンは、光合成は明反応と暗反応からなることを提唱した。
1913年 ドイツのリヒャルト・ヴィルシュテッターが、クロロフィルの研究の功績を受けてノーベル化学賞を受賞。
1929年 ドイツのカール・ローマンがATPを発見。

2009年07月03日

海上保安庁の担任水域は

海上保安庁の担任水域は、領海、接続水域、排他的経済水域(EEZ)、日米SAR協定に基づく捜索救助区域(本土より南東1200海里程度)である。このうち領海とEEZを合わせた面積だけでも約447万km2あり、領土(約38万km2)の約11.8倍に相当する。これにSAR協定分担域を合わせると、国土面積の約36倍という広大な水域を担当していることになる。

海上保安庁の活動範囲は当初は「港、湾、海峡その他の日本国の沿岸水域において」(制定時の海上保安庁法第1条第1項)と限定されていたが、後に改正されて単に「海上において」と規定され、活動範囲の限定が解除された。そのため、活動範囲は全世界に及ぶ。一例として、専用船「しきしま」によるヨーロッパ - 日本間のプルトニウム輸送護衛任務、マラッカ海峡における海賊捜索任務などがある。
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海上保安庁は海上における警察・救難・交通業務を総合的に司ることを念頭に世界で初めて設置された海上警察機関である。よって、法第25条[2]により、海上保安庁は軍隊ではない事が規定されている。そのため、マーク・制服等は軍隊色をイメージしない物が取り入れられている。

一般的に国境警備隊・沿岸警備隊は、「準軍事組織」と認知されている。

巡視船艇の船舶自体の運航体制は民間船舶とほぼ同様であり、海上保安業務等は残りの乗組員により執行される。また停泊中は数名の当直を残し船内若しくは宿舎等で待機となる。

2009年06月13日

社会(しゃかい Society)とは人間と人間のあらゆる

社会(しゃかい Society)とは人間と人間のあらゆる関係を指す。[1]

社会の範囲は非常に幅広く、単一の組織や結社などの部分社会から国民を包括する全体社会までさまざまである。社会の複雑で多様な行為や構造を研究する社会科学では人口、政治、経済、軍事、文化、技術、思想などの観点から社会を観察する。

社会は広範かつ複雑な現象であるが、継続的な意思疎通と相互行為が行われ、かつそれらがある程度の度合いで秩序化、組織化された、ある一定の人間の集合があれば、それは社会であると考えることができる。[2]社会を構成する人口の規模に注目した場合には国際社会や国民国家を想定する全体社会や都市や組織などの部分社会に区分できる。さらに意思疎通や相互作用、秩序性や限定性という社会の条件に欠落があれば全てを満たす社会と区別して準社会と呼ぶことができる。

人間は誕生してから死去するまで社会の構成員の一人であり、また社会の行為者でもある。都市または農村において育ち、家庭や学校などでさまざまな教育を受けながら成長する。この過程で社会に存在している規範や法、宗教や芸術などの文化に触れ、そして家族外の人間関係を拡大していく。これは人間の自我の確立と同時に社会化の過程でもある。
バンジージャンプ
地球温暖化
体外離脱
白血病
花見
VDT症候群
元素周期表
油彩画
民話
翻訳
賃貸借
水上スキー
漢方薬
スキー
心療内科
妖怪
血液学
近畿地方
ウエストナイル熱
中国地方

成熟してからは自営業で、または政府機関や企業や軍隊に入り、労働を通じて報酬を得て生活する。これは国民社会、地域社会、家族などの多重的な社会関係を構築する人間の組織化であり、また分業化された社会における協働という社会交換の過程である。このように人間は、社会を形成すると同時に社会に形成され、社会に働きかけながら社会から働きかけられながら活動している。

社会は人口集団、都市形態、経済発展、政治体制、宗教などによって多様性を観察することが可能であり、時代や地域によってさまざまな社会の形態を見ることができる。

19世紀半ばまでの日本語には「社会」という単語はなく、「世間」や「浮き世」などの概念しかなかった。青地林宗が1826年(文政9年)に訳した『輿地誌略』に「社會」ということばが、教団・会派の意味で使用されている。古賀増の1855年(安政2年) - 1866年(慶応2年)の『度日閑言』にも「社會」ということばが使用された。明治時代になると森有礼が1874年(明治7年) - 1875年(明治8年)に編んだ『日本教育策』や福地源一郎が1875年(明治8年)に書いた『東京日日新聞』の社説に社會という用語が使われた。

『翻訳語成立事情』では、福澤諭吉(『学問のすゝめ』第17編 1876年(明治9年)、『分権論』1877年(明治10年)に使用)が英: societyを訳して「社會」という語を作ったという説を提示しているが、年代の前後については以上の通りである。